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IX - IANNIS XENAKIS

(LINN CKD495)

加藤訓子とリンレコーズによる ニューアルバム第三弾「クセナキス」のパーカッション作品。2015年4月20日 グローバル・リリース。20世紀の偉大な作曲家「ヤニス・クセナキス」をフィーチャー。大作「プレイアデス」と打楽器ソロ作品「ルボンa.b.」を収録した6トラックのアルバム。世界的マリンビストとして知られる加藤訓子が、遂にパーカッショニストとしてのベールを脱いだ自信作です。全面的にノイマン社のデジタルマイクを採用し、圧倒的なクラリティーを実現。リンのフィリップ・ホッブスが「音楽も音響も驚愕的なクオリティである」と評している通り、アルバム制作に一年半を費やした加藤訓子のこだわりが随所に感じられる作品。同時に「プレイアデス」各楽章の計24パートをセクステット(6人の加藤訓子)として記録した映像もお楽しみ下さい。

‘These are meticulous and muscular performances, at once elemental and elegant. Brilliant.’ The Sunday Times

  1. Pleiades: I. Melanges (Mixtures)  Composer Iannis Xenakis | Soloist KUNIKO | 08:51
  1. Pleiades: II. Metaux (Metals)  Composer Iannis Xenakis | Soloist KUNIKO | 13:56
  1. Pleiades: III. Claviers (Keyboards)  Composer Iannis Xenakis | Soloist KUNIKO | 10:31
  1. Pleiades: IV. Peaux (Skins)  Composer Iannis Xenakis | Soloist KUNIKO | 11:25
  1. Rebonds A.  Composer Iannis Xenakis | Soloist KUNIKO | 08:07
  1. Rebonds B.  Composer Iannis Xenakis | Soloist KUNIKO | 06:21

IX – INANNIS XENAKIS   (LINN CKD495)

BOOKLET NOTES By Kuniko Kato

クセナキスは今世紀に名を残す偉大な作曲家である。 建築家であり、数学者であり、その上で独自の作曲法を極め、ソロ、アンサンブル、室内楽と多くの素晴らしい作品を私達に残してくれた。特に打楽器にとっては、現代的な言語を使って、プリミティブ且つ圧倒的な打楽器の世界観を生み出してくれたと思う。 ここに私達打楽器奏者が身体を張って取り組める、素晴らしいレパートリー「pleiades」 がある。これは音楽界を超え、世界人類すべての万物へ残された大きな遺産だと思う。

ここ最近はライヒ、ペルトの作品をマリンバに編曲したこともあり、私をマリンビストだと思っている人も多いかもしれない。確かに最初はピアノ、そして物心ついた頃自分の意思で始めたマリンバ、その後、打楽器とい世界を知った。そして私は今、打楽器奏者である。

打楽器という楽器 ( 音程のないリズム楽器 ) に初めて接した時、そのシンプルに叩くという行為を体感した時、身体中がワクワクして、 不思議と「生きている」という鼓動を感じた。 現代の作品であろうが、ミニマルミュージックであろうが、民族音楽であろうが、そのリズムとそのプリミティブでフィジカルな何かが直に身体に響いて来るのだ。また近年の取り組みでもあるが、演奏にお ける身体を使っての探究は、常に自分の体の 変化に発見があり、進化するのが何とも面白 い。そこに音楽が宿った時、フレーズに沿う ように身体が末端から全身に及んで変化し、 その作品や音楽を演奏する体が出来上がる。 それが面白くて 20 年以上演奏し続けている「rebonds」である。

Rebonds をもっと上手く演奏したい、もっと太鼓のいい音を出したい、楽器を響かせたい、その一心でずっと鍛錬を続けているが、 その野望は今も変わらず、留まることはない。まだ先の境地もあるのだろうと期待も膨らむ。そうして私の身体はクセナキス作品に 育てられたようなものとも言えるだろう。

ここで一つ断っておくが、今回のアルバム ――クセナキス作品はアレンジではない。前作 kuniko plays reich、cantus 二作のオリジナルは、他の楽器のために書かれたライヒ、 ペルトの代表作であり、それを打楽器用に私が編曲したものである。この二人の偉大な作 曲家からの正式な許諾を頂き、素晴らしいレ パートリーを何曲も手にしたことは、私の宝であり、本当に幸せなことである。 クセナキスにおいては、もともと打楽器用に書かれた作品であり、アレンジする必要は ない。兎に角オリジナルスコア通りに忠実に 演奏することに徹した。( しかしそれがやはり難しいのだが! ) 一音一音大切に見逃すことなく、作品の意図をしっかりと汲み取り、 それを最大限に活かすことに全力を注いだ。

クセナキスというとコンピュータ、数学、 建築のイメージで知られると同時に、非常に 難解で、人間には不可能な音楽とされてきた。 時には心ない冷酷な現代の音楽とも言われ、 音楽とは程遠いとも感じる方もあるだろう。 また、これだけすべて計算され尽くし、一音 たりと無駄のなく一瞬の隙も緩みもない完璧 なつくりは、容易に人を寄せ付けない気丈なものがあるのかもしれない。 コンピュータで打ち込んでしまえば、より完璧なものができるはずである。しかし、クセナキスは、すべてを手で書き埋め、何故それを敢えて我々に与えたのだろうか。

人間はマシーンではない。マシーンにもな れない。 機械のように正確にやってもどこまでも人 間の身体から出るリズムであり、いくらやっても自然な揺らぎというものが生まれる。そうして人間から生み出された音である以上、 それは「音楽」に違いないのである。当時からシルヴィオ・グァルダなど打楽器奏者やあらゆる演奏家とはたくさんのワークを重ねて来ていると思う。そうした生身の人間の起こす揺らぎ、限界、時には奇跡や共に得る感動、 対して裏切りまで、嫌という程味わっていた だろう。だからこそか、人間の不確定なものを分かった上で、あえて複雑且つ違うパルスで組み合わせたり、そこから生まれるズレを作ったのではないかと思う節がある。

反面、面白いことに、どの曲もどのパートもどの部分も、読み砕いてゆくうちにたくさんのフレーズが見つかってゆく。時には予期 せぬハーモニクスが生まれ、難解な音符達が 戯け、歌が聞こえてくるのだから本当に面白い。それも民族的な味を付けたり、ノリや癖 などをわざと付けたりするのでなく、まずは ストレートに、スコアに忠実に向かうこと、 ベストな音を出すために楽器に向かうこと、 その長いワークの時間を経て自然に身体を任せてみる、そうすると溢れ出てくるものがたくさんあることに驚かされる。驚愕するほどの力強い躍動とリズムの中、時には嘲り、茶 目っ気たっぷりな遊び心もいっぱいだ。きっと曲を書きながら限りなくアイデアが沸き、 楽しみながら、時には笑いながら紙の上に夢 中で音を書き連ねていったのではないだろうか。

ぎっしりと音で埋め尽くされたスコア、打楽器という未知な楽器に対する興味と期待を込めたあらゆる実験や試みが見える。それは作曲家の思いと壮大な構想を構築するための 膨大な仕事量と信念の証である。 作曲家が 命をかけて一音一音を手で紙に残した膨大な 数の音符を一つ一つ読み砕いてゆく、その根気の要る作業を経て、いつしか私の身体に染み込んできたものは、血となり肉となり、そこから生み出された音が宙に放たれ、人々の耳に届く。 それをどこまで忠実に再現できるか、どこまで超えることができるか、それが演奏家としての私の仕事であり、どんな時もその思い を忘れぬよう、作品に真正面から向かい合い、 私にできる限りのことをしようと思う。

この素晴らしい作品に携わることのできる喜びと、何とか現実化したいという私の夢を実現することの大変さを理解し、応援し、協力して下さった方々すべてに心から深く感謝申し上げます。

 

PLEIADES by IANNIS XENAKIS

MELANGES (総合) – METAUX (金属) – CLAVIERS (鍵盤) – PEAUX (太鼓)

この 4 つの楽章からなる pleiades は 1978 年に Rhin オペラの委嘱により作曲され、ストラスブールパーカッションが世界初演した。 実はあまり知られていないことだが、打楽器アンサンブルとして世界でも知られる pleiades はもともとダンスのために書かれた作品だったようだ。私も pleiades を手掛けることになったのは、あるダンスプロジェクトがきっかけであった。

曲の全体構成は全四楽章から成る。6 人の 打楽器奏者がほぼ同種の楽器を持ち、セッティングは会場の中心に 6 人の奏者、それを観客が取り囲む ( これはなかなか現実的には実現不可能とも言える )、或いは客席に向かって右から A-B-C-D-E-F と並ぶことがクセナキスの希望のようだ。

そしてこの 4 つの楽章はいく通りかのサジェスチョンはあるものの順不同であり、その自由度が許されている。

melanges―mixtures はすべての総合である。後に続く楽章の全種類の楽器が登場し、各楽章の各パートからそのまま切り取られたフレーズが出ては消える。別の音色との組み合わせ、それらがパッチワークのように 組み合わさり、全く別世界の曲想が展開される。太鼓、金属、鍵盤とすべての打楽器のマテリアルを揃え、緻密な計算と実験で書き終 えたあと、そんなパズルのような遊び感覚を やってみたくなったらしい。

それはまるでキラキラと光る灯りの続く中、祭りの屋台がぎっしり並ぶ夜店通りの間を抜けて行く。一体何処へ出るのだろう、時々立ち止まっては欲しいものが並んだ陳列棚を覗き込み、と途端に、突然おもちゃ箱をひっくり返したように全てがブチまけられてびっくり仰天する。これまた滑稽さや遊び心一杯の品評会である。

claviers はその名の通り、打楽器の中での代表的な鍵盤類、マリンバ、ビブラフォン、シロフォンに加え、シロマリンバ――或いはシロリンバ ( 当時のフランス作品に時々出てくるマリンバとシロフォンの間のような楽器 ) が 6 名の奏者に振り分けられる。その組み合わせや配置の仕方は音と共に星座を思い起こさせる。ビブラフォン 3 台の音響構造とその効果は素晴らしい。独自に創作したと思われる音階と微分割リズムのあらゆる組み合わせは、感情的というよりも幾何学的でもあり、偶然性と数学的な実験が多く含まれているように思う。 突如、飛び込む最後の coda のガムラン的な tutti は、全くもって意外な展開で驚かされる。

peaux はおそらく最もポピュラーであり、 単独で演奏されることの多い楽章でないだろうか。最もクセナキスの打楽器作品らしいものと言えるだろう。基本は 8 分音符、16 分 音符、32 音符とポリリズムや微分割の多様なリズム ( クセナキス作品は他の曲もすべて に言えることだが )、この基本的なリズムと アクセントの組み合わせだけで、様々なメロ ディやアンサンブルのアゴーギグ、躍動感の あるリズムが繰り広げられる。最後には宇宙のビッグバンが起こり、正に太鼓の無限なる 世界観の醍醐味である。

metaux、ここに耳慣れない楽器 SIXXEN( ジクセン ) というものが登場する。 これはクセナキスが打楽器という楽器に期 待をこめてイメージしただろうメタル音を実現するための架空の楽器であり、打楽器奏者とのコラボレーションにより生まれた。 (6 人の打楽器奏者 =six percussionists と xenakis の合語と思われる。) それは 19 個 のメタルで構成され、素材の選択も音程も演奏者に任され、これといったマニュアルがあるわけでもない。すべて微分音で構成された 19 個の音は、いかなる音階も避けなければならず、19 本を 1 セットとしてほぼ同じも のを 6 人の奏者が持つ。さらにその 6 セッ トはほんの少しずつ耳に分かる微分音でずれていなければならないという。 楽器からして何だかガラクタの集まりのようにもなってしまいがちだが、試行錯誤の上 やっと 6 台のジクセンを創り、一つ一つを 音にしていってみると何とも不思議な感覚に包まれた。 最初は一つの原子から始まる。折り重なる 微分割リズムの山、思わず尻込みしてしまい そうだ。 まるで鈴虫の鳴き声のような不思議な倍音の重なりがびっちりと隙間なく満ち渡り、かと思うと宇宙の原子が生まれては弾け、集まっては分子となり、様々な形と色彩を放ち、終いには大きな塊となり破裂と分割を繰り返し、そして宙に飛び散ってゆく。

このタイトルの pleiades は所謂プレアデ ス星団やそれにまつわるギリシャ神話とは特に関連もないそうだが、私にとってのクセナキスの作品は、どれをとっても絶大なる宇宙空間であり、演奏するたびにその音楽の大きさを体で感じ、導かれるようにその広大な音 の宇宙空間にほうり投げられる。

pleiades を仕上げてゆくにあたり、楽器 製作、そして曲の解読も含め膨大かつ緻密な 作業が延々と続くわけだが、その一音一音を 形にしてゆくにつれ、幾度も無数の星が見え、 それが音となり輝き、散って行った。

思いのままに組み合わされた微分音とリズ ムは緻密な時間配分とともに 6 種の折り重 なりを見せ、それは時にフレーズとなり会話 のように飛び交う。生身の人間で表現するには確かにとてつもない難しさがあるが、そのすべてがヴァーチャルに計算しつくされていた。なのに何故か懐かしい祇園祭りが聞こえてきたかと思うと突如見たこともないような仮面をかぶった行列が通り過ぎたり、突然荒波にのまれたり、私はいつしか名前も知らない国に居て、時空をもワープしたその不思議な音世界にすっぽりと包まれて居た。

豆粒のような無数な音の羅列がびっしりと詰め込まれたスコア、最初はとっつきにくく、 とにかく難しいことが書かれているように思うだろう。ところが所謂現代音楽として割り切れないものやメロディがないなど、何を理 解して良いのか全くわからないと言った代物 では決してない。すべてが数学的にも計算され、つじつまが合い、その構造は非常に明快だ。ただロジックは分かっても、それを人間がいくら正確にやろうと思っても完全には行かないところがたくさんある。今までの演奏の現場でも皆が苦労していることだろう。 まして 6 人も奏者が揃えばそんな計算通りにはいかないことだらけだ。ところがその時間的なズレや複雑なリズムの組み合わせは、敢えて完全に縦が揃わないように予め計算されていたり、音色も全く同じものが存在 しないように、微妙なピッチの違いをすべての楽器に求めていたりする。しかし、それらが集まった時にとてつもないパワーを生み出すことにいつしか気がついた。例えピッタリ合うようなオンビートの一音でさえ、人間の手では完全に一緒にならず、何度やっても同じものは存在しない。( 機械で全く同時に同じ音を同じタイミングで重ねたらそれが反発しあって全く音にならないことをご存知だろうか? ) クセナキスは人間が持つ不確定で自然な揺るぎと二つとないピッチや音色、ズレが重なった時のエネルギーを生み出させようとしたのかもしれないと思うようになった。 そして自然界の大きな力というものを人間の手により創造できないものだろうかと考え たのかもしれない。また自然に立ち向かう人 間、その手によって破壊するかのごとく、そんな期待を打楽器という未知の楽器に委ねようとしたのではないだろうか。

ふとクセナキスが生きていた時、どんな思いで曲を書いていたのだろうと考える。信ずるために戦い、生きるために自国ギリシャから離れ、アメリカへ亡命する際に立ち寄った というパリ。そこで何を見たのだろうか。あらゆるジャンルの芸術が溢れ、未来に向けての情熱と意欲を持った芸術家達が行き交い、 次々と新しい事を生み出すことへ没頭していた時代、そのキラキラとした別世界は違った意味で大きな刺激となり生きる力となったのかもしれない。 その中で、クセナキス自身、様々な分野の才能を持ち、時にはコルビュジェの片腕とし て、建築のフィールドで力を発揮しながらも、 最終的に「音楽」という道を選んだのは、そこに何にも代え難い未来への「希望」を見出 したのではなかろうか。 そんな思いを含み、残された音達を、できる限り一音でも多く、今ここに活きた音として再現してみたい。やればやるほど面白いものが見えてきたと同時に本当に限りのない世界だと思った。

また当然であるが、pleiades 全パートを習得するには大変な試練が待ち受けていた。 それは垂直の岸壁を下から激しい波を受けながらよじ登るがごとく、途方もないエンドレスなチャレンジに思えた。 果たして自分は何処まで行けるのか、自分は一体何処にいるのか、だんだん分からなくもなって来ていた。 ある時、終止符を打ち、出来上がった作品 を改めて振り返ってみると、自分でも驚いた。 なんというユニヴァースだろう。なんと構築された見事な、壮大な世界観だろう。 人間の成せる仕事とは本当にすごいと思った。

すべてが終わり、訪れた仏エトルタの岸壁に立った時、真っ青な空と深い青の海のグラデーションにすっぽりと包まれ、ただただ爽快な風に吹かれていた。その先には何もない地平線、本当に丸い地球があった。一年たって振り返ってみるとまた別の山に登りたくなるのだから音楽とは不思議なものである。

「やはりクセナキスは偉大な作曲家である。」

 

REBONDS a b

打楽器ソロという世界を知り、ずっと演奏し続けてきた rebonds、今回約 10 年来の再録音となった。 今や最もポピュラーな打楽器ソロレパートリーと言っても過言はないだろう。psappha に続くクセナキスのソロ曲ということで、私がヨーロッパに行き出した 90 年代でも、すでにあちこちフェスティバルやコンクール、 マスタークラスなどそこら中で耳にしていた。( その頃どうしても行きたかったのが、 シルヴィオ・ガルダさんの教えるアヴィニオンフェスティバルだったが、当時それは叶わずであった。ようやくシルヴィオに会い、ルボンの演奏を聴いてもらったのは、2010 年ブリスベーンだった。)

また psappha のようにコンピュータの点字符ではなく、見やすい五線譜に書かれ、出版もされており、楽器も現実的にあるものを集めれば取り敢えず演奏できるということが、取り組みやすい理由だったかもしれない。 その頃の日本では、打楽器ソロのレパートリーの情報を集めることはまだまだ困難でも あった。世界ではこうした打楽器ソロという 世界はどんな風になっているのだろう?どんな奏者が居てどんな演奏をするのだろう?世界というものを見てみたくなり、伝手を辿って行き先を見つけ、ファックスの返事一枚を 握りしめてヨーロッパへ向かった。

あの頃は譜面を追うのが精一杯で、 rebonds も全曲通すのに息切れしていた。 あれから何百回演奏してきただろうか、できないところもその度に何度もやり直し、常にやる度に発見があり、前進してきたつもりだった。が今回更にもう一度、一からやり直して一つ一つ読み直し、覚え直し、また更に 読み砕けたことがまだまだ沢山あった。そこに新たな発見と自分の成長、さらに無限な音楽の世界を垣間見ることができたことに大きな喜びを感じている。 これで少しはクセナキスに、この作曲家の作品に近づけたような気がした。

pleiades も勿論だが、クセナキスの作品はとにかく音数が多く、譜読みが大変だ。不可能か?というものも含めてフィジカルに演 奏するために少々無理をし、時には処理をし なくてはならないところもあるが、楽器のすべてを熟知しているわけではない作曲家に とっては細かに指示するのは難しいことでも ある。ただそれは演奏家が少し工夫すればその殆どはフィジカルにクリアできることが多い。大体において時間的な制約やその取り組みの浅さによっておろそかになってしまう音達がどんなに多いことか。楽器の状況や環境などで一概には言えないが、それはある意味 演奏家の責任でもあり、言い訳にすぎない。

 

Sylvio-rev

 

突き動かされるままに、今の私ができるありったけのエネルギーをそこに込めた。そうしてより正確に、より完璧にやったつもりが、実際出来上がったものは、その昔とも全く違い、意外にも想像を超えるほどの歪なものであったことは自分でも驚きである。そこにマシーンではない、人間の挑戦とその極限を見たかったのかもしれない。

冒頭の単純な一音から始まり、天と地を繋ぐ。音を出す基本、精神の集中を教えられる。

そして rebonds―rebound―躍動である。 音が弾むのである。音が弾けるのである。

© 加藤訓子

 

COMPOSER’S NOTE

PLÉÏADES

Pléïades: [pluralities] [several], there are six percussionists and four sequences. The primordial element is rhythm, in other words the ordering in time of events, the combination of durations, intensities and timbres. It is constructed in several parallel fields but with transverse circulations, i.e. figures are simultaneously deformed or not, as the case may be. Some of the fields are made manifest by accents which superpose rhythms onto the normal beat. The timbres of the membranes are also functional, being subject to rhythmic fields.

The sole source of this polyrhythm is the idea of periodicity, repetition, duplication, recurrence, copy, faithfulness, pseudo-faithfulness and unfaithfulness. For example: a beat incessantly repeated with the same pattern represents a faithful copy of a rhythmic atom (of course a metre in ancient music is already a repeating rhythmic molecule). In this way, small variations in the pattern produce internal rhythmic activity without damaging the fundamental period. Greater and more complex variations of initial period create a disfiguration which may lead to immediate non-recognition. More diverse variations, of still greater complexity or (which often comes to the same thing) resulting from the chance distribution of a particular stochastic procedure leads to total rhythm, to a knowledge through mass of events, to notions of clouds, nebulae, dust galaxies of rhythmically organized beats. Moreover, the speeds of these transformations create new disfiguration superposed upon the preceding, ranging from little continuous accelerations to rapid, not to say exponential transformations (still continuous) which sweep the listener along like a whirlwind, dragging him as though to inevitable catastrophe or to a contorted universe. Again infinitely great speeds, corresponding to brutal breaking-up of transformations, move instantaneously from one kind of evolution to another of an essentially different type.

An axiomatization together with formalization, as represented by theory of pitch-series envelopes a certain number of such problems of transformation in all domain, spaces or ordered ensembles.

In Pléïades this basic idea of duplication (recurrence) in time of event or of a state of being which our physical but human universe is submerged is also taken up in another musical [dimension], that of pitch. In this dimension European (Western) music has remained immobile since Greek antiquity. The system of the diatonic scale still holds away, even indeed especially, in those kinds of music (such as serial music) in which total chromaticism is the basis for the choice of notes. Moreover its extension to a scale in which the unit would be the comma would not change the [climate], the force-field of the melodic lines or the pitch-clouds.

This is why I have undertaken this double endeavour. The first, as was already the case in Jonchaies for orchestra, being to construct a frankly non-Western scale of sufficient firmness and character, but capable of being played on diatonic keyboard instruments such as marimba, xylophone and vibraphone. The second essay was to have a new metallic instrument built, called the SIXXEN, comprising nineteen irregularly distributed pitches with steps of quarter-tones or thirds of tones or their multiples. In addition the six copies of the instruments taken as a whole should never produce unisons. As far as the first question is concerned, after a long trial I constructed a series (scale) which with surprise, was similar to the ancient Greece, of the Near East or Indonesia. However my scale, unlike these traditional scales, is not based on the octave; it possesses internal symmetries and manages to cover the total chromatic space in three consecutive copies (periods), thus enabling it to create by itself, without any transpositions, supplementary harmonic fields when polyphonic superpositions are made.

© 1979, 2013 Éditions Salabert (Paris).

All rights reserved. With kind permission from Hal Leonard MGB.

 

COMPOSER’S NOTE

REBONDS

Rebonds is in two parts, A and B. The order of play is not fixed: either AB or BA but without a break. The metronomic indications are approximate. Part A only uses skinned instruments: two bongos, three tom-toms and two bass drums. Part B uses two bongos, one tumba, one tom-tom, bass drums and a set of five wood blocks. The tuning of the skins and the wood blocks should extend over a very wide range.

© 1991 Éditions Salabert (Paris).

All rights reserved. With kind permission from Hal Leonard MGB.

 

Recording information

Recorded at Lake Sagami Hall, Kanagawa, Japan on 15–18 December 2013, 11–15 January 2014, 2–4 and 30 September 2014 and 1 October 2014

All tracks are recorded at 192kHz / 24-bit

Produced by Yuji Sagae

Recording and engineering by Kazuya Nagae and Yuji Sagae

Executive producing by Philip Hobbs

Mastering by Bastiaan Kuijt | BK Audio, NL

Cover image and photography by Michiyuki Ohba

Production Coordination by Kim Campbell & Heather North at Linn Records

Design by gmtoucari.com

Technical support

Adams, Pearl, Sukit Musical Co. Ltd, Synthax Japan (RME) and Sennheiser Japan (Neumann)

Special thanks:

Seiji Murai, Yuki Sakamoto, Takeshi Mitsuhashi, Michio Akiyama, Anna Suzuki, Yoichi Toishi, Natsuki Urushibata, Misaki Gunji, Kazuyuki Inomaki, Hiroyoshi Takishima, Takafumi Oike, Mitsuru Sato, Yukinori Machida, Andy Ito, Masaki Furukawa at Linn Japan, Cathy Hogg at Linn Records, Adams, Pearl, Sukit Musical Co. Ltd, Synthax Japan (RME), MI-7 Japan, Sennheiser Japan (Neumann), Rock On Pro, Miyamoto Unosuke Shoten and Luca Veggetti

LINN_CMYK_White copy

Download 192k/24bit Studio Master from Linn.

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